社会人になって初めて習うのが、報連相(ホウレンソウ)です。上司から言われる重要な要素です。
日本では、常識過ぎて疑う余地のない報連相ですが、実は知らず知らずのうちに組織を弱体化させている悪しき慣習という説が出てきたのです。
非常に恐ろしい事なので、詳しく教えてくれませんか。
当たり前が当たり前ではないことの恐怖
「報連相が日本をダメにする」果たして『報連相』は今の時代に合わないのかというテーマで、脳科学者中野信子さんとニューヨーク在住のジャーナリストシェリーめぐみさんが対談していますので、紐解いてみましょう。
日本はクリエイティビティを育てる教育が足りないのではないかとよく言われます。それは、独自性のある新製品がなかなか生まれてこない状況からくるのでしょう。また、一つの見方として、教育の後に関係する企業のポリシーが問題ではないかといわれています。
その企業のポリシーというのが、『報連相』なのです。これは意外で、びっくりです。
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日本人とアメリカ人の違い
人の特性として、『退屈と安定』、『刺激とリスク』の二項対立があります。
日本人の遺伝子プールとアメリカ人の遺伝子プールは、かなり違うようです。それは、下表に示すドーパミンの感受性です。
国 | 『刺激とリスク』を求める人の割合 =ドーパミンの感受性 | 備考 |
アメリカ | 約20%(5人に1人)ぐらい | 日本よりリスクを求める人たちが多い |
日本 | 約5%(20人に1人)ぐらい | 安定を求める人たちが多い |
これからは、新しい時代に適応しなければなりません。不確実性の時代と言われている中で、安定というフレーズは、そんなに大きな価値ではないという問題提起ができます。日本でいう『報連相』みたいな慣習はアメリカでは、連絡ぐらいはするという程度です。『報連相』=安定と解釈しますが、それは、上司の指示に対しての進捗を主に伝えるもので、指示の枠を超えたものではないからです。よって、安定はあるがイノベーション(=刺激)はありません。
アメリカでは 日本と優先順位が違い『イノベーション』の方が優先なんです。それがアメリカという国の強さにもなっています。やっぱり新しくないと生きられないという圧力が強いようにも見えるけど、その圧力があるからこそ新しいものが本当に生まれて、それが国力にもなっているのです。
分析の見方を変えると『合理性を重視する』か、それとも『組織のルールを重視する』かという、二項対立に置き換えられます。
二項対立の具体例
- 『合理性を重視する』:現場で自分の裁量で物事の多くを決めて良くて、後で責任は自分が負う
- 『組織のルールを重視する』:いちいち組織の長にお伺いを立てなければならず、そのルールに従わないと遅かれ早かれ、ルール違反として組織から弾かれてしまう
上記例では、日本は後者の2.です。どちらかといえば組織の中での生存ということが価値が高いというように見なされているので、なかなか自分の裁量で物事をやり通すというか、そこへのハードルが高い感じがします。
それが『報連相』ということの問題提起だと思います。仮に報告を受ける上司が、器量の大きい人であれば部下も伸び伸びと力を発揮するかも知れません。一般的にはそのような上司は稀有な存在ですが…。
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自然科学の研究室は、『報連相』というよりも、自分である程度進めて「こういう問題点が見つかったんだけど、先生はどう思いますか」という様に『報連相』じゃなくて、ディスカッションをするのです。これは、自由に考えられる環境でないと生まれません。違う意見を求めるとか、問題点を指摘してもらうとか、新しい提案を2人で議論を交わすことで生み出していくのです。
一般的な日本の企業のあり方の中で、博士問題というのがあります。日本では、なかなか博士号を取った人が一般企業に受け入れられにくいのです。これは博士を取った人が議論の習慣があるために一般企業で受け入れてもらえないという、「ディスカッションするやつは日本の企業にいらない」ってことではないかという意見があります。このような単純な問題ではありませんが、1つの見方ではあります。
これは大きな損失ではないかと思います。新しいものがたくさん生まれてその目が出た時に潰されない土壌という意味でも、非常に大事な議論の習慣であり、日本人が今まで苦労してきたところでもあるので、これからは少しでも議論の習慣も取り入れたら良いと思います。
日本ではルールというものが、合理性を持ったルールではなくなってしまう
例えばブラック校則とか『報連相』も本来は仕事を円滑に進めるための工夫だったはずなんです。その工夫が、いつしか正義になってしまい、ルールを守ることそのものが目的化してしまう、日本独特な仕組みの現象が起きてるという感じがするのです。流動性の低い場所ほど、そうなります。
そのコミュニティから、なかなか出ていけない、あるいは新しい人がなかなか入ってこない。その為、古い人ほど尊敬されるというようなコミュニティが存在すると、その中ではルールを守ることが絶対視されやすくなって、新しいことそのものが “悪” になるという摩訶不思議な現象が起きるのです
おそらく新しいものを受け入れた結果、何か悪い事が起きたという学習がされてきたんだろうと思ってしまいます。もしかするとそれは感染症だったかもしれません。なんか今までのルールと違うことをしたために作物が取れにくくなってしまったりとか、悪いことが起きたのだろうと思います。
ちなみに、アメリカは自由の国で、自由の国というのはルールが嫌いなんです。基本的に自由が一番大事なんです。
アメリカは新しい環境で生活を始めたという人たちの国
アメリカは新しいことの方が価値があると思わないとやっていけない国だと思うんです。
そもそも賢い人の定義が違います。日本とアメリカで、日本は集団からとりあえず優等生って言うとどういう類型を思い浮かべるかというと先生の言うことを聞く良い子ですね。自分の意見を言う子じゃない、自分の意見を言う子は悪い子と思われます。でもフランスでは、自分の意見を言わない人はバカ扱いされるっていうことを経験して、ずいぶんと2つの国が違うなあと肌身で感じたのです。
日本では、尖った意見を持っているのにその集団から弾かれないようにするためにより目立たなく、中庸でいようとする集団極性化と言うんですけれども、集団そのものの意識が凡庸などこかで聞いたようなものに落ち着いてしまうという現象がよく起きるのです。
これを企業単位でやってしまうと、その会社はいつまで経ってもイノベーションは起きません。
日本って縛るけど会社がファミリー的なのはいい
上司がお兄さんやお父さんみたいだったり、お姉さんやお母さんみたいだったり、社員を日本型のねちょっとファミリー的にあったかく育てるみたいな企業は、なくしてほしくないなって思います。
見えにくい仕事っていうのがあります。裁量労働制では、なかなか測れないような調整の上手な人とか、ちょっと心が折れて疲れてしまった人を癒すのが得意な人とか、いるだけのように見えて実はその会社の中で重要な役割を果たしている人っていうのを、合理性だけで見ていくと、このような人を切ってしまうことにつながっていくというのを危惧するのです。
効率重視がいいというのは、短期的に結果を出していくには非常にいいのです。
しかし、中長期的に見た場合どうなのかと考えたところ、視点がやや心もとないところがあるように感じられます。それは、もしかしたら従来の日本型の組織が良かったのかもしれません。短期で疲弊することなく、常に安定した力を発揮する組織であるかも知れませんね。
それぞれの長所をうまくハイブリッド化してイノベーティブでもあるけれども、短期的になかなか業績が上がらない人でも実は重要な役割を果たしているっていう人を一緒に含有できる仕組み・組織というのが構築できると素晴らしいですね。
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『報連相』論議は、イノベーションが生まれないという欠点に行きつきました。それは、『報連相』だけをすればそうなりますが、ハイブリッドな方法、例えば、前向きな議論ができる環境を整える等を施せば良い職場になりそうですね。
今の世界経済を見た場合、EVの躓きもありましたがトヨタを筆頭に日本企業の見直しがされているように思います。
それぞれの国の特性を理解して、ハイブリッドな組織ができれば、面白い企業が誕生しそうな気配がしそうですね。