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佐々木朗希の登板回避の是非! 思い出す大谷翔平を育てた監督の言葉

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佐々木朗希投手の夏の予選決勝での登板回避は、正直驚きました

世間を揺るがす話題でした。如何なる理由があったにしろ監督の勇気ある決断だったと思います

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登板回避の是非は、これからの高校野球に少なからず波紋を起こしますね

決勝の相手は花巻東

岩手県の夏の選手権予選決勝は、佐々木朗希選手のいる大船渡高校と菊池雄星(マリナーズ)、大谷翔平(エンゼルス)を輩出した花巻東高校でした。結果は、佐々木選手は登板せずに大船渡高校は負けてしまいました。

対戦前は佐々木選手への期待が大きく、また勝って甲子園に行けば全国の人が佐々木選手を見れるという事でマスコミにも取り上げられていました。その期待の反動もあり、大船渡高校には多くの問い合わせがあったと聞きます。中には、傷つけられるような中傷もあったかもしれません。

甲子園は、ある意味マスコミがドラマ仕立てに仕上げるのが好きで、自分を犠牲にしても仲間のために頑張りぬくことを良しとする風潮がありました。ましてや、野球関係者、指導者はスポ根世代しか知らないので、ケガもしていないのに登板回避はありえないという雰囲気でした。自分自身も佐々木選手を甲子園で見てみたいという願望がありましたので、非常に残念だったという記憶があります。

当時思っていたのは、登板回避の是非は5年、10年後の佐々木選手の動向で決まるのではないかという事です。2022年4月、日本中のみならず世界中を震撼させた佐々木投手の完全試合は、1つの回答かもしれませんね。

この背景などが、ネットで発信されていますので、参考にして考えてみたいと思います。

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スーパースターが入部した時の監督の気持ち

 決勝の相手となった花巻東のチームを率いる佐々木洋監督にとって、スーパースターの逸材との出会いは、どのような気持ちなのだろうか。

「はじめは怖さしかなかったですね」

大谷翔平との出会いを、佐々木監督はそう振り返ったことがあります。秘めた才能を自らの指導によって潰してしまってはいけない。そんな不安と何とも言えない重圧感、時には "恐怖" にも似た感覚を経験しています。

<大谷翔平選手の体の確認>

項目       内容
高校入学時の所見身長は190センチ近くあり、まだ成長段階
タテに伸びるのは希望の証であるが、脆さも同居している
詳細を把握するため体の検査骨端線(体の縦軸方向に関係する骨の先端付近の軟骨層)が残っており、骨が成長段階にある。多くのところに骨端線が残っていて、過度なストレスはかけられないと判断
☞ ケガの治療も大事だが、今は "予防の時代" になっている
  育成方針ドクターやトレーナーと相談しながら、3年間の育成方針とトレーニング内容を慎重に考えて進める。将来を考え、歩みを慎重に見定めていく
理由:わずかな衝撃や過度の負荷で、大きなけがにつながる危険をはらんでいる

凄いことだと思います。当時は体のケアや休息などを推奨するトレーナー制度は整備されてきたところではありますが、予防的に骨の状態をチェックして育成計画を立てるというところは少なかったと思います。

結果的に、大谷選手は甲子園の舞台を2度経験していますが、ピッチャーとして勝利をつかむことはなかったのです。

もしも、ピッチャーの練習をさせていれば

大谷に1年時から投手として経験を積ませていれば、高校野球における "勝てる投手" になっていた可能性は高い。一般的な育成方法では、そうすることがチームにとって最善であり、佐々木監督の「求めるもの」だったかもしれない。

ただ、大谷と過ごした3年間を振り返り、佐々木監督はこう言います。

佐々木監督の言葉

大谷の将来を犠牲にすることだけは、絶対にあってはならないと思っていた

たとえば、2011年の秋の東北大会でも、その思いは貫かれました。

2011年の秋の東北大会

翌年のセンバツ出場がかかった大会の事です。勝てばセンバツ当確となる準決勝でのことでした。光星学院(現・八戸学院光星)を相手に、花巻東は8回表までに2点をリードしていたが、最後は逆転されて涙をのんだ。その時、大谷選手はケガの影響もあって、ピッチングを封印していた。結局は、東北大会を制した光星学院が明治神宮大会でも優勝し、東北地区に "神宮枠" が与えられ、花巻東はセンバツに出場することになるのです。

東北大会準決勝の采配に対して、佐々木監督は周囲から厳しい言葉を浴びるのです。

「試合終盤に大谷が投げれば勝てるかもしれないというゲーム展開。敗れた直後に周りから『なぜ大谷を投げさせなかったのか』と聞かれることがありました。でも、私は最後まで彼をマウンドに送らなかった。秋の時点ではピッチャーとして使わない。そのことはチームみんなで決めたことでもありましたし、私自身も投げさせてはいけないと思っていました」

監督としても、高校野球として何が正しいのかを葛藤していました。

「本音を言えば、センバツ出場が見えたあの場面で、ピッチャーとして使いたかったという思いは少しありました。あとで聞いた話ですが、大谷自身も投げたかったと。でも、我慢しました。大谷のゴールはここではない。当時、大谷はまだ2年生でしたし、ここで壊すわけにはいかないと。何度も自分にそう言い聞かせていました」

佐々木監督の言葉

すべては中庸だと思います。バランスが大事なんですよね

 チームの勝利個の育成を偏ることなく追及する。その考えにいたったきっかけは、菊池雄星投手がいた時代にさかのぼります。菊池雄星という、それまで出会ったことのない逸材を預かることになり、佐々木監督は大いに悩みました。

 スター選手がいるチームのあり方、互いの力を生かせるチームのつくり方とは

ある時、逸材の育成とチームづくりに悩んでいた佐々木監督は、田中将大投手がいた駒大苫小牧の監督である香田誉士史(よしふみ/現・西部ガス監督)に悩みを打ち明けました。その時、佐々木はチームの「バランス」が大切だということを香田から教わったそうです。

菊池が高校時代に積極的に取り組んでいたトイレ掃除などは、そのバランスと無関係ではなかったのです。常に見本となる行動を、佐々木は菊池に求めました。野球の技術だけではなく、人間として成長することの大切さを教えたのです。そうすることで周りの選手たちの思考や姿勢も変わり、スター選手が孤立することなく、真のチーム力が構築されていきました。その根底にある強さが「バランス」であり、仲間とのよき関係性つまりは「つながり」だったようです。

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おまえで負けたらしょうがない

同じ岩手大会で、そんな「つながり」を感じたチームがありました。ベスト4まで勝ち上がった黒沢尻工です。準決勝の花巻東戦で先発を担った石塚綜一郎は、序盤から快調なピッチングを続けるも中盤になって指にマメができ、本来の投球ができなくなってしまった。それでもマウンドに立ち続けたが、相手打線につかまり逆転を許す。結局マウンドは譲ったが、外野手、捕手として最後まで試合に出場し続けた。その気骨ある姿を仲間たちも感じ取っていた。チームを支え続けた大黒柱を中心に、黒沢尻工は最後まで「つながり」を持って戦い抜きました。勝負には敗れたが、試合後の選手たちの表情はどこか晴れやかだった。悔しさはあったに違いないが、最後は「やりきった」とチーム全員が思えたように見えました。そこには、「おまえで負けたらしょうがない」という思いがチーム全体にあったのでしょうね。

反面、問題は、指にマメができたピッチャーのその後です。当然、すぐに直るであろうと思われる症状であった為、多少無理してでも、本人のやる気で出したと思われます。しかし、それが満足に投げることができなくなるような事態になれば、取り返しがつかなくなります。たとえ、本人が満足していても周囲の大人は考えてやらなければならないと思います。

昔の「巨人の星」や「MAJOR」のアニメで無理をして頑張る主人公に、皆して涙する感動物語なのですが、同時にけがをした悲劇も伴っているのです。アニメでは、利き手を替えて復活するのですが、通常ではありえません。これらの感動秘話は、日本人は特に好きで(自分も好きです)球児たちの心の根底にあると思われます。だからこそ、将来のことを冷静に判断できる大人が必要だと思います。

黒沢尻工に反して、決勝戦直後の大船渡のベンチはまったく違う光景が、そこにはあったそうです。

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岩手の監督の奥深さ

 仲間と一緒に甲子園へ。佐々木朗希を含めた大船渡の選手たちは、大会を通じてそう語っていました。東日本大震災に直面し、それでも前を向いて進んできた岩手県沿岸部の人々にとっては、大船渡の35年ぶりの甲子園は "希望" でありました。だが最後は、「せつなさ」を残して終わってしまいました。

大船渡の國保監督は、花巻東の佐々木監督とも懇意にされていてよく話をされるようです。今回の件もそれまで聞いていた話を参考にされていると思います。

故障を防ぐためです。連投、そして暑さ。投げたら壊れる、投げても壊れないという未来を知ることはできないのですけど、プレッシャーのかかる決勝の場面で甲子園、すばらしい舞台が、決勝戦を勝てば待っているのはわかっていたんですけど、今までの公式戦のなかで一番壊れる可能性が高いと思い、私には(登板させることを)決断できませんでした」そして、打者としての出場も見送りました。 「守備の際、急に100%の力でスローイングをしてしまう可能性があるので怖かった。それに投げた次の日に力強いスイングができるかと言えば、それは別問題。フレッシュな野手を起用したほうがいいと考えました」と優しくも深い考察だと思います。

その一方で、「仲間と一緒に甲子園へ」というチームが掲げた目標は、本当に最後まで貫くことができたのだろうか。3年生にとっては高校生最後の大会であり、勝てば悲願の甲子園である。大船渡ナインのなかには「なぜ?」と思った選手もいたのではないか。もちろん、佐々木が投げたからといって花巻東に勝てるとは限らない。だが、「おまえで負けたらしょうがない」という言葉すら言えなかったのは残念でならない。という意見は、昔ながらの野球を経験してきた人たちに多いでしょう。

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球数制限の導入

2021年5月時点での甲子園大会のルールでは、『1週間に500球まで』が導入されます。これはどう見ても、1大会を考えた策のようで、スポーツ医学に裏付けられた数字ではないように思います。しかし、それまではなかったので一つの進歩ですね。

いまWBCが世界的に盛り上がっています。その中のルールに、球数制限があります。これは、チーム運営として全く従来とは違う作戦を強いられます。継投が必須であるため、1人のスーパースターのピッチャーというよりも複数人のピッチャーの育成が必須になります。

少年野球にも導入されてきて、従来とは違う選手の育成が必要になってきます。逆転の発想としては、それだけピッチャーができる可能性が増えてくるとも考えられます。

このように、高校野球もこれからはもっと医学的な観点からも、球数制限が厳しくなってくる可能性が高くなりますね。これは、大船渡の監督の苦渋の決断のお陰かもしれないですね。

まとめ

WBCの球数制限の試合を見ると、総合力の闘いになってきますね。どんなに素晴らしいピッチャーがいても、1試合は投げられないので、変わったピッチャーを狙うなど戦略が変わってきます。やはり一番変わるのは、控えにいるピッチャーの数です。侍JAPANでは、15人/30人がピッチャーになっています。

多分この流れは止めることができないでしょう。それこそ昔のスポコンだけの指導者はご遠慮頂くことになりますね。大谷翔平選手の様に、本当に野球が好きでたまらない姿を見せてくれる選手が増えてくることを望みます。

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